アマガミSSのSSって…? - 12 -

アマガミSS 中多紗江編 最終章「コイビト」を視聴しました。
以下、感想。



二つ言いたいことがある。
一つは「何を描いているの?」ということ。
一つは「どこか話がつながらない」ということ。
正直に言うと、個人的に視聴して気分は良いものではなかった。



これはこの最終章の後半を視聴して言いたい事。
最終話の後半。話が盛り上がるところ。クライマックス。


恋愛を描いたアマガミSSならば、二人の恋の行方がどうなるか注目するところ。
誰もが固唾をのんで見守るところ。
それなのにナレーターは茶々をいれるように「頑張れ」的なことを言う。
……少しは黙って見させてくれないか?そう思う。
そして、告白して口づけをして……ああ、物語が終わる…。
そんなときに「キュン死」??
何を言っているの?
なんで物語が良い雰囲気で終わったのに、変なこと言って雰囲気を乱すの?
ギャグを中心に描くギャグアニメならともかく、これは恋愛を描く恋愛アニメ。
告白シーンという物語の重要なところで変なギャグ飛ばして、
雰囲気を壊したら、ダメでしょ?
それとも、この中多紗江編はギャグアニメだったの?
確かにいくつか笑う要素はあった。
だけども、私はそれを恋愛アニメのちょっとしたエッセンスととらえ、
決してギャグがメインだとは思わなかった。
あくまで恋愛アニメとして、この中多紗江編を視聴した。
だからこそ、このギャグは雰囲気をぶち壊しにしたものにしか感じられなかった。
また、告白を決意した純一が映画のエンドロールが始まったときに
「僕は監督だ!」と言って、カメラを撮る真似をして紗江ちゃんにじゃれるシーン。
あれも好きじゃなかった。
告白する決意して、トイレで思いつめた顔していたあの顔はどこ行った?
本来ならじゃれる余裕すらないように思えるのだが?
余計なところで変なギャグを入れたような気がして、いい気はしなかった。
これもあくまで恋愛アニメとしてアマガミSSを視聴しているからだ。


これが一つ目。
「何を描いているの?」ということ。
ギャグアニメを描きたかったのか、恋愛アニメを描きたかったのか、分からなかった。
ギャグアニメを描くのだったら、恋愛要素抜きでドンドンやってくれた方が
私としては何の不快もなく、見れたと思うし、
6人のヒロインのうち、そんなヒロイン編があっても面白かったんじゃないかと思う。
紗江ちゃんの恋愛が見たかったという人は出てくるかもしれないが、
中多紗江スキBESTエンドが好きな私にすれば「キュン死」は不快以外の何物でもない。
個人的な意見だが「水を差すな!」と。



二つ目。
実はずっと考えていた。何か違和感がある…と。
その違和感の正体が分からず、一日中考えていた。
「どこか話がつながらない」


もしかしたら、先ほどあげた純一の例につながるかもしれない。
告白を決意したはずなのに、カメラを撮るポーズをして紗江ちゃんとじゃれている。
告白することを悩んでいる人物には思えない。
ましてやトラウマを抱えている人物とも。
純一の性格がブレているということだろうか?
以前、平池監督は純一の性格をぶれないようにしているとおしゃっていた。
だが、残念ながら以上のことを考えるとブレているのではないだろうか?


だけど、それだけでは収まらない気がする。
そもそもトラウマについて第一章にも書いたが、さらっと流したではないか。
なぜ最終章でトラウマを戻したのか?
今までトラウマのトの字も出さずに、紗江ちゃんと関わり合う純一を描いてきた。
なのに、最終章だけでトラウマを思い出したように出されても妙ではないか?


そもそも、純一が悩んでいたのは「フラれること」ではないはずだ。
だって、紗江ちゃんは純一に気があることを純一は知っていたはずだから。
フラれる要素なんか全然ないのだから。
ただし、ゲームでは告白されるまで紗江ちゃんの想いに気づいていなかったようだが…。
ついでに言うと、ゲームにおいて純一が悩んでいたのは
「紗江ちゃんの想いをどう受け止めるか」ということだと私は思っている。
紗江ちゃんが自分を好いてくれているのは嬉しいし、想いに応えたいとも思っている。
だけども、純一は紗江ちゃんへの想いについて整理できていないうえ、
紗江ちゃんへの想いにどう応えてもいいのかも分からない。
ましてや、紗江ちゃんが本当に自分のことが好きなのか、信じられないでいる。
だから、ゲームで紗江ちゃんに「直球勝負」の告白されたとき、
「お試し期間」と称して猶予期間をもらうか、
「トラウマ」について話して告白を断るか、この選択だった。
トラウマを恐れ、臆病で何も分からなかった純一にできる最大限の方法だった。
紗江ちゃんの想いと真剣に向かい合って得たそのときの最良の答えだった。
なお、紗江ちゃんの想いをいい加減に扱った場合、すべからくテキタイになっている。
約束をすっぽかすとか、何も言わず一方的に断るとかね。
話が少しそれたが、とにかく言いたいのは
ゲームで純一が悩んでいたのは「紗江ちゃんの想いをどう受け止めるか」ということ、
そして、なぜ悩んでいたのかというと
かつてのトラウマが原因でふさぎ込んでしまい、自分に自信が持てなくなっていたから、
自分のことを好いてくれている人がいる事が信じられない、
また、自分に対する想いに応えられるかどうか自信がないから、
いつまでもウジウジ考えていた、そう思うのだ。
むしろゲーム内で主人公本人がそう語っている。
「自分を好きになってくれる人が信じられない」「自分に自信がない」などね。


だが、アニメでは違った。
純一が告白できない理由を「失恋を恐れて」と言っていた。
ナレーター、そして映画監督が。
ゲームと違うよね?
そしてトラウマが与えた影響は「失恋という恐怖」に変えられていた。
「フラれる恐怖」になっていた。


何が言いたいのかというと、私が考えている事と異なるということ。
私は「トラウマ」がもたらした影響は「フラれる恐怖」ではないと思っている。
そして、私が思う「トラウマ」の影響は描かれなかった。
むしろ「トラウマ」の過去がなくても、話は通じる。
「トラウマ」の描写ははっきり言って無意味なものに思う。
思い出したように描かれたものに意味がなければ、ハッキリ言って訳が分からない。
いっそのこと、トラウマとか描かない方が良かったんじゃないですか?
第一章でさらっと流したしさ。



話は変わるが、「中多紗江スキBESTエンド」は私が最初に見たエンディング。
そして、好きなエンドの一つでもある。
その理由は、私のアマガミ観を作ったエンディングだったから。
紗江ちゃんの物語、スキルートが
トラウマによって自信を持てなくなり、人を好きになることを恐れていた男の子が
紗江ちゃんと向き合うことで人を好きになることについて考え、
少しずつ自信を取り戻し、トラウマを乗り越える、
アマガミのテーマの一つである「トラウマ」に関して、
明確に乗り越えた様子を描いたエンディングの一つであると感じられた。
また、そのルートのところどころでダイナマイトが置かれ、
その都度、人との関わり・態度・姿勢について問うようなところもあり、
その接し方でいいの?ときいているようだった。
この中多紗江編を最初に見て、私のアマガミのイメージは作られた。
「人を好きになるとはどういうことか?」
「好きな人と接するとはどういうことか?」
「恋に限らず、一歩を踏み出すこととは?」
「好きな人だけでなく、人と接するにあたり、何が大事か?」
アマガミはこんなことを問うてくるゲームなのだ、と認識された。
そして、これは私のアマガミ観の根本ともなっている。


このアマガミ観から、私はどのようにアマガミを楽しんでいたのか。
アマガミのゲームをプレイしてて、
女の子とイチャイチャしたり、ドキドキするイベントを楽しみながら、
そうやってゲームに出される問のようなものに
私は自身の経験をもとに考えたり、推測したりして、楽しみ、
そして、自身に活かすようにしていた。
同じような経験をしたことや、友人が悩んでいるのを見聞きしたことを思い出し、
(ここで言う経験とは恋愛パートに限ったことだけでなく)
あのとき、どうやって切り抜けたっけ?あのとき、どうすれば良かったの?
なんていろいろ考えつつ、
ああやって切り抜けたんだと思い出したり、
そうやれば良かったのかな?と思ったり、
それを現実世界に活かすことを考えていた。いや、活かせるようにしていた。
実現できなくても、高校生活を思い返し、
「あのときのように頑張ろう」と発奮剤にしていた。


ときに自分以外の解釈や違う世界を見たいと思うこともある。
見聞きし、新たな発奮剤にしようと考えることもある。
だからコミカライズやCD、そしてアニメに頼る。買う。
そして、自分の持つ世界と比べ、新たに自分の世界を構築する。
自分と同じ解釈、自分と異なる意見でも取り入れられるものならば取り入れる。
受け入れられないものならば、なぜ受け入れられないのか考え、
欠落した部分を見つけ、その部分を取り入れる。
受け入れられないものをそのまま受け入れることはできない。
これが私のアマガミ、いや、モノの楽しみ方。
自分なりの楽しみ方。


もちろん、製作者の方々の意図は知りません。
この楽しみ方が正しいとは言いません。


結論を言おう。
この中多紗江編 最終章は好きじゃない。


その理由は中多紗江編は私が持つアマガミ観とは違ったものだったから。
トラウマについての描写、およびそのトラウマを持った純一の性格……
これらは私の中で大きく異なり、受け入れにくく、不快感を生み出している。
アニメとゲームは違うのは分かっている。
だけどもそれは話の展開・内容に限って。
性格がブレていたり、主張・伝えられていることが異なったりしていると認識されれば、
不快に思い、混乱するのはおかしくはない。
私にすれば純一の性格はブレていると思うし、
トラウマを通じてのメッセージも異なるものに感じる。
もしかしたら、私の解釈に間違いがあるかもしれない。
だが、私が不快に思ったということに違いはない。


かく言う私も話の筋は通っておらず、ブレブレのことが多い。
だけど、それはそれ、これはこれ。
この中多紗江編 最終章は気に入らないものでした。
もちろん、いいところもありました。
紗江ちゃんが終始可愛かったとかね。
だけど、私にとって大事なところが違っているように感じられる。
だから、あまり好きじゃない。これが今の感想。


最後に、作中にも使われていた中多紗江編の次回予告のBGM
『A little bird on my hand(小鳥の育て方)』について。
もしかしたら小鳥のような紗江ちゃんを描いているのかな?と推測している。
まだまだヒナな感じがする。そんなメロディ。
だけど、タイトルを見ると、やがて巣立ちすることを想像させられる。
紗江ちゃんが成長する可能性を描いた、そんなBGMなのかな?と思う。




以上が私の感想。
以上は個人的な考えであり、独りよがりな考えです。
もし最後まで読んでいただいた方がいらっしゃれば大変ありがとうございます。
大変長くなったうえに、何を言いたいのかさっぱりだったと思います。
実は、この日記を書く際、考えがまとまっていなかったのです。
書いていくうちに、ああ、こういうことかな?と考え、書いていった結果がこれです。
要領を得ない文章ですが、自分の想い、考えを吐き出した結果です。
削ることも考えましたが、自分が何を考えていったのか残すために削りませんでした。
意味不明な文章ですが、何かを少しでも感じ取っていただければ、
そして、私自身読み返して、思い出すものがあれば、と思っています。


さて、いよいよアマガミSSも折り返し。
次は七咲逢編。楽しみにしています。
また、中多紗江編もいつものようにEDについて触れていけたらと思います。


その11 中多紗江編 第三章「ヘンカク」
その13 七咲逢編 第一章「サイアク」
その30 『あなたしか見えない』感想