○○さん

過去の日記を読み返すというのは非常に面白い。
かつての私が考えていた、思っていたことが表れているからだ。
その考え、想いは今と全然違うものになっているということが多々ある。


直接的に「○○だと思う!」と表現せずとも
文章の節々に自分が思っていたことが見え隠れすることがあるが、
文章の書き方が微妙に変化し、考えが変化していることがうかがえることがある。


その一つがゲームにおける主人公の呼び名の変化である。




私はかつて、ゲームの主人公をデフォルト名で読んでいた。
TLSならば早川大輔、TLS2ならば小笠原雅人、TLS3ならば関谷朋貴、
TLSSならば森崎勇太、キミキスならば相原光一、アマガミならば橘純一…と。
昔の日記を読めばそういう表現がよく見られる。
だけど、今現在はゲームの主人公に対し、そういう呼び名を使っていない。
アマガミの主人公ならば「橘さん」「純一」ではなく、「アマガミ主人公」と呼ぶ。


なぜか、というといくつか理由はある。
今回、自分の中で大きいと思う理由を2つほどあげる。


一つは、ゲームの主人公はプレイヤーひとりひとりであり、
アマガミならば、決して「橘純一」という名前のキャラが主人公なわけではない、
という考えがあるからだ。
ゲームの主人公は「あなた」とゲームキャラから呼ばれるように
プレイヤー自身(you・あなた)が主人公である。
私はある考えがあって、俗にいう本名プレイをせず、デフォルト名を使うが、
そういった本名プレイに限らず、
人によってはデフォルト名ではない名前をつける者も少なくはないだろう。
プレイヤーの数だけ名前が存在する可能性があるということは
プレイヤーの数だけ主人公のカタチが存在しているとも言えるだろう。
そう考えると、なぜゲームの主人公をデフォルト名で読んでいるのだろう?
自分自身、主人公のカタチを固定化してしまい、
他のプレイヤーが考える主人公像を拒絶しているのではないだろうか?
と自分自身に疑問を持ち、主人公をデフォルト名で呼ぶことをやめた。


ただし、コミックやアニメはその作品に登場する名前で呼んでいる。
ゲームとは違って、その作品の主人公は読んでいる人自身ではなく、
そこに登場するキャラクターだと思っており、
キャラの名前を呼ぶ際は、そこでつけられている名前で呼ぶべきだと思っているから。


もう一つは、一部のアマガミファンがゲーム主人公に対し、
「橘さん」「橘さん」と呼んでいることに不快感を感じたから。
前述したように、私はゲームの主人公はプレイヤー自身だと思っている。
だが、ゲームの感想などで「橘さんは流石、変態紳士だな」とかの声を聴くと、
ゲーム内に「橘純一」という自分とは違う存在なんだと認識していることが読み取れ、
自分の考えとまったく違う考えに不快感を感じる。
また、そういった呼び名が主人公のキャラクターを固定化しているようで嫌なのだ。
プレイヤーの数ほど主人公のカタチはあるはずなのに、
「橘純一」というカタチに固定し、ゲーム内における一部の言動しか取り上げられない…
主人公がごく普通の高校生のハズなのに、我々となんら変わらない存在なハズなのに、
一部のファンが作り上げられた「橘純一」というカタチに押し込められ、
笑いものにされる、もしくは崇拝(?)される存在になっていることに
私は不快感を覚えた。
だから、アマガミの主人公は「橘純一」という名前のキャラではないという
私の考えを示すために、主人公をデフォルト名で呼ぶことをやめた。


もちろん、楽しみ方は私自身が定義できるものではなく、
人によって異なるとは思うが、私はそういう姿勢が嫌いなのだ。
嫌いなものは嫌いなのだ。それ以上でもなければそれ以下でもない。




もしかしたら、他にも自分が気づいていない考えの変化があるかもしれない。
そういったものを発見できることにも日記の楽しさがあると思う。