ナイロン製の写真

ナイロン先生が描く「フォトカノ Your Eyes Only」の単行本が発売になったそうですね。
第1巻ですか。


単行本が発売されたところで、ちょっとナイロン版フォトカノについて振り返る。


連載されたばかりのころ、同作品を読んであまりいい印象を受けなかった。
というのも、何を描きたいのかが、分からなかったから。
第1話で複数のヒロインたちが次々と登場し、
ゲーム内のエピソードに近い形で物語が進行していく。
誰に焦点を当てた作品なのか、もしくは何に焦点を当てたいのか、
そのときにはまったく分からず、ただゲームをなぞっているだけという印象を受けたのだ。
ゲームの販促として描いているのだから、これでいいのか?
そう考えると、私の想いとしてはNOだった。
漫画であったとしても、漫画ならではの良さがあるはずだし、
漫画ならではの話の描き方や展開を私は楽しみたい…そう思ったからだ。
だから、当初より私は同作品について冷めた目で連載を追っていた。


回を重ねるごとに同作品の色が出てきたのではないかと思う。


単行本1巻の時点ではまだ独自の色が薄いかもしれないが、
ナイロン版フォトカノは他のコミカライズ作品よりも、
「よりエロス」を、「より変態性」を、“より”前面に出している。
股間や胸…もといパンツやおっぱいがより強調された構図に、
それを平然と撮っていく主人公。
目を輝かせたりとかして、変態性も増し増しになっていっている。
より過激に、より大胆に。
この「エロス」と「変態性」がナイロン版フォトカノの特徴だろう。
なるほど、えっちぃ。
特に室戸先輩の縞パンとかね。


何を描きたいのか、作者の意図は知らないが、
ゲーム内のエピソードを抜き出しつつ、
フォトカノの持つエロスや変態性を描きだしているだろう。


そういう作品があってもいい。
だが、私は好きじゃないと言っておく。


フォトカノは写真を撮る中で「エロス」が含まれる一面がある。
直接的接触はないにしろ、「エロス」においてあざとくもキワどい描写もある。
フォトカノにおいて「エロス」は存在している。
だが、ナイロン版作品を読んでいると「エロス」“しか”ないように見えるのだ。
そして、それはときにゲームの作品で描かれている以上の「エロス」がある。
同様のことは「変態性」にも言える。


個人的にフォトカノには「エロス」「変態性」以外の部分で惹かれた。
それは「純愛」と「青春」。
「ほろ苦く」「甘酸っぱい」そして「若々しい」…
かつて誰もが通ったであろう経験…そんな物語が私を虜にした。
えっちぃから好きになったわけでもないし、ハマったわけでもない。
主人公の馬鹿馬鹿しい言動を笑うために購入したわけではない。
同じごく普通の高校生として、作品を楽しむために購入し、
去りし日の記憶を思い出させ、明日への活力を見出すことに楽しみを覚えた。
「ああ…こんなことあったなぁ。あの日のように頑張るか。」と。
私にとって、フォトカノはそんな作品である。


だから、ナイロン版フォトカノは描いているモノに対して、私と合わないと感じている。


繰り返すが、ナイロン版フォトカノのような作品があってもいいと思っている。
だが、露骨なエロスや主人公の変態性といった部分の
(私から見たら)ゲーム以上の誇張描写がやはり私とは合わない。


おそらくこれからも冷めた目で読んでいくことだろう。
え?ボロクソに言いつつも読むのかって?
フォトカノのコミカライズ」としては合わないけど、
フォトカノではない漫画」として、『えっちぃ』ので読みますよ。
だって、室戸先輩の縞パンが素敵じゃないですか。ねえ?


以上。